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人生はいつ見ても波乱万丈。「東大ダイレクト」塾長にして文理開成高校理事長の四方山話。
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東大卒の親を持つ子どもは東大に合格しやすい?
2012-12-18 Tue 12:25
私が東大に入学したのは、1986年のこと。
バブル華やかなりし頃でした。

入学してみて気付いたことがあります。
それは、親が東大卒だったり、兄弟が東大生という友人が意外に多いことです。

「へー、やっぱり脳みその優秀さは遺伝するんだ~」

と思ったりしたものでした。

でも、今は、必ずしもそうではないと思っています。

むしろ、

「東大で学ぶ」ということをどの位意識するかどうか?

「東大」という大学をどの程度身近に感じるかどうか?

の方が重要だと思っています。

ゴルフをやられる方なら、誰でも一度は経験したことがあると思います。

そうです、「池ポチャ」です。

ティーグラウンドの前に広がる、緑の広々としたフェアウェイ。

「よーし、真っ直ぐ、気持ちよくスイングして、ナイスショットを打つぞ!」

と意気込んだところまでは良かったものの、キャディさんや仲間から、

「おい、池ポチャするなよ!」

「手前の池には気をつけてくださいね!」

とか言われ、結果は、無残な「池ポチャ」。

そのときのやりきれない気持ちは、本当に表現できない位悔しいですよね~。

でも、もし、池の存在に気付かずにショットしていたらどうなったでしょうか?

きっと、もっとよいショットをフェアウェイに打てていた可能性が高いというのが脳科学の研究で分かってきています。

「脳みそは善悪を判断することができず、その対象を意識することだけできる」

ということのようです。

だから、キャディさんから「右サイドはOBなので、気をつけてくださいね!」なんて言われようものなら、脳みそは右サイドばかりに注意が向いてしまって、見事にボールを右に出して、OBになってしまう。

そんなことが往々にして起こるのです。

だから、そういうとき、キャディさんは、
「お客さん、真っ直ぐしっかりと打ってくださいね!」
と声を掛ければよいのです。

日々、どんなことを自分の脳みそに伝えているか?

その積み重ねがとても大事なのだと思います。

早くから東大を意識した子どもたちは、

「東大ってどんなところなんだろう?」

「東大で勉強すると、どんな良い事があるんだろう?」

と自分の脳みそに語りかけます。

すると、脳みそは、東大を一つのターゲットとして、認識し、自然と東大に向けた情報を周囲からピックアップし、蓄積するようになるのです。

もし、自分の子どもを将来東大に合格できるような子どもに育てたいなら、私は早いうちから東大を身近に感じさせる機会を作ってあげることが何よりも有効だと思います。

東大キャンパスを散歩する

東大生の家庭教師をつける

東大受験をしたときの話をする

東大という大学が子どもの脳みそに明確に認識されればされるほど、自ずから東大を目指して勉強する確率が高くなる。。。。

そんな風に私は考えています。
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教育とイノベーション
2012-12-12 Wed 22:00
「教育とイノベーション」と言うと、簡単には結びつかないような気がします。

「教育」とは時代の変遷に動じない、何かしら「普遍的」であり、「本質的」なものだろう。

「イノベーション」とは、逆に、何かしら常に「変化する」ものであり、「動いていく」ものだろう。

きっと、そんなことを脳みそが勝手にイメージするからだと思います。

でも、よく考えると、本当は「教育」にこそ「イノベーション」が必要ではないかと思います。

「教育」が社会を形成する上で、最も影響力が大きな要素の一つであり、「教育」の成否がその社会の命運を決すると言っても過言でないことは論を待たないでしょう。

そう考えると、社会の成長・発展には「教育」も進化し続けることが必要なのです。

社会の進化に応じて、「教育」は進化し、「教育」の進化が更なる社会の進化へと繋がっていく。

こういう好循環がこれまでの人間社会の発展を支えてきたのだと思うのです。

人間とは、社会とは、成長し続けることが宿命付けられているものだと思います。

「成長なくば死んだも同然」

私が嘗て仕え、今でも尊敬する経営者が常々口にしていた言葉です。

「教育は普遍であり、変わる必要がない」

「教育を変えることは子どもたちや保護者を不安にさせ、好ましくない」

そう考える教育関係の方々が存在することは理解できます。

それでもなお、

今日よりも明日、明日よりも明後日、もっともっと「教育」を改善する方法がないだろうか?

「教育」でイノベーションを起こすことができる余地はどこにあるだろうか?

と考え続けること。

これこそが、教育に携わる全ての関係者に課せられた義務だと思っています。

自戒の念を込めて。

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「弱さ」こそが「強さ」である
2012-12-04 Tue 19:02
「弱い」ものが実は最も「強い」

そう思わざるを得ないことが、世の中には時々あります。

世間的には最も強いとされている人たちのことをよくよく調べていくと、実は、ものすごい弱点や欠点を元々持っていて、それを自分なりに克服した結果、強くなった、という話をよく耳にします。

例えば、陸上において、その名声を欲しいままにしているウサインボルト選手。

有名な話ですが、ボルト選手には短距離陸上選手としては、致命的と言っても過言でない「欠点」があります。

彼を育て上げたコーチが、あるインタビューでこう答えています。

「ボルトは生まれつき、脊柱側湾症という障害を持っているんだよ。背骨が生まれつき曲がっているのさ。あいつが14歳の時に200mを走るのを初めて見たんだが、それはそれは酷いフォームだった。曲がった背骨が重心を支えられず上体が後ろに大きく傾いていたからね。可哀想だけど100mは走れないなと直感的に思ったよ」

脊柱側湾症。それは背骨が著しく湾曲してしまう障害で、後天的に発症する場合もあるのですが、ボルトの場合は先天的なもので、その背骨はS字状に大きく曲がっているというのです。

100mはスタート時、瞬間的に巨大な圧が背中にかかる。その圧に耐えながらも上体を前傾に保ち、速やかに加速していかなくてはならない。曲がった背骨による体幹の筋肉の不均衡は、そうした一連の動きを著しく鈍らせる。それはスプリンターにとって致命的ともいえる欠陥だったのです。

それをボルト選手は、体幹の筋肉を徹底的に鍛える過酷なトレーニングと驚異的な蹴り上げの力で克服し、地上(史上)最速のランナーになったということです。

自らの「弱さ(欠点=ハンディキャップ)」を正面から受け止め、それを別なかたちで必死に克服するべく努力に努力を重ねる。

ボルト選手の陽気なパフォーマンスからは想像もできない、過酷な生き様がそこにはあります。

同じことは野球の世界でも言えます。

あのイチロー選手にはこんな言葉があります。

「努力せずに何かできるようになる人のことを天才というのなら、僕はそうじゃない。努力した結果、何かができるようになる人のことを天才というのなら、僕はそうだと思う。」

イチロー選手は野球選手として必ずしも恵まれた身体の持ち主ではありません。今はともかく、昔はどちらかと言うとひ弱で線の細い選手でした。

そのために彼は「振り子打法」を磨きに磨いたと言われています。

人間、誰しも「強さ」もあれば、「弱さ」もあります。

そこで、自分の「弱さ」を直視できるかどうか?

謙虚に、自分の「弱さ」「欠点」と向き合えるかどうか?

そして、次に、その克服に向けた努力をひたむきに重ねることができるかどうか?

その結果、「強さ」が磨かれる。

「弱さ」こそが「強さ」である。

私にはそう思えて仕方ないのです。



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